親日国トルコを作ったエルトゥールル号遭難者介護 | 日本の世界一

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2009年10月3日

親日国トルコを作ったエルトゥールル号遭難者介護

トルコは親日国として知られている。そのきっかけとなったのは、「エルトゥールル号遭難事件」だった。1890(明治23)年に日本訪問を終えたトルコ使節団が乗る軍艦エルトゥールル号が和歌山県大島の樫野崎沖で沈没した時に、村民は69名を救助し献身的に介護した。帰国できたトルコ人らは、日本人の親切さを語り続け、この出来事はトルコの歴史教科書に載るほどになった。今でもトルコのほとんどの人がこの事件を知っているという。1890(明治23)年、オスマン帝国(現トルコ)皇帝アブデュル・ハミット二世が派遣した使節団が、小松宮彰仁親王のトルコ訪問への返礼と親善を目的に日本を訪問した。トルコ使節団は明治天皇に拝謁して晩餐会に招かれるなど、盛大な歓迎を受け、3カ月間日本に滞在した。

9月15日に使節団650人を乗せた軍艦エルトゥールル号は帰国の途に就いた。

日本の関係者は、この時期は台風の季節なので帰国を延期するように勧めたが、エルトゥールル号はトルコへ向けて出発した。
不幸なことに途中台風に遭遇した船は、和歌山県大島の樫野崎沖で難破して沈没し、特使オスマン・パシャ提督を含む587名が死亡する大惨事となってしまった。
船の沈没を知った大島の村民たちが崖下の海岸まで行ってみると、海面に投げ出された船員たちや船の破片を見て驚いた。
村民たちは、傷ついたトルコ人の血を海水で洗って包帯をしてやり、一人ずつ背負って断崖をよじ登って救助した。そして、火をおこすのもままならない中、意識を失って冷たくなっているトルコ人たちを、自分の身体で温めてあげた。
さらに、台風により出漁できなかったために食料が少なく、生存者たちに食料を提供して、村から食料が無くなってしまった。すると島民たちは、いざという時の為に貯えていた甘藷や鶏などまで提供して食糧の一切を与え、衣類も浴衣をある分だけ供出するなどして、69名のトルコ人を救った。

日本は官民あげて、犠牲者の遺体や遺品の捜索や船の引き揚げなどを手厚く行なった。引き揚げられた遺体は、救出されたハイダール士官ら生存者の立ち合いの元に、遭難現場の岩礁近く、樫野埼の丘に丁重に埋葬された。犠牲者を追悼するために、樫野崎に慰霊塔も建てた。
救助された69名は、この事件の報を知らされ、大いに心配された明治天皇の命により、軍艦「金剛」「比叡」に乗せられ丁重にトルコへ送還された。

帰国したトルコ人は、日本人の親切さを語り続け、この出来事はトルコの歴史教科書に載るほどになった。今でもトルコのほとんどの人がこの事件を知っているという。
イスタンブールの海軍博物館には、今もエルトゥールル号の遺品や日本で作られた哀悼歌の楽譜などが展示されている。

また、1892(明治25)年、民間人の山田寅次郎(1866~1957)は5千円(現在価値で約1億円)の義援金を集めてオスマン帝国を訪れた。山田が遠い日本からはるばるやってきて、オスマン帝国外相へ義援金を渡したことがトルコ人の間に広まった。すると、山田は熱烈な歓迎を受け、皇帝アブデュルハミト2世に拝謁することになった。山田は、皇帝から「しばらくトルコに残って日本語を教えてほしい」と依頼された。その後、山田はトルコと日本の間を行き来して、両国の友好関係の構築に尽力した。山田の発案で、現在も5年おきに行なわれているエルトゥールル号遭難事件の追悼祭も始められた。 このようなこと通して、トルコでは親日感情が育まれていった。(関連記事『日本とトルコの友好に生涯尽くした山田寅次郎』参照)

エルトゥールル号遭難事件から95年後の1985(昭和60)年、イラン・イラク戦争が勃発した。3月17日、イラクのサダム・フセインは「今から48時間後にイラン上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」と宣言し、世界を震撼させた。世界各国はイランに住む自国民を救うために急いで特別便を出して救助した。
しかし、日本政府は素早い決定ができず、日本人215人はテヘラン空港に取り残され、パニック状態に陥っていた。タイムリミットまであと1時間15分の時、親日家のオザル大統領の指示で飛ばされたトルコ航空機が現れ、日本人は救出された。
日本は「危険だから飛行機が出せない」と躊躇していたが、トルコ政府は「危険だからこそ、助けに行こう」と決断したのだった。
後に、前・駐日大使、ネジアテイ・ウトカン氏は次のように語っている。
「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。トルコでは、子供たちでさえ、エルトゥールル号のことを知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです。」(関連記事『イラン空襲から日本人を救ったトルコの恩返し』参照)

毎年、日本を訪れるトルコ人約5千人のうち数百人はエルトゥールル号遭難現場で慰霊碑の立つ和歌山県串本町へ足を運ぶ。また、トルコの駐日大使、武官は在任中に慰霊碑に献花する習慣となっている。

2008年、6月7日、トルコ共和国のアブドゥッラー・ギュル大統領は串本町にあるエルトゥールル号遭難慰霊碑前で開かれた追悼式典に出席した。トルコ大統領が慰霊碑を訪問し追悼式に参列するのはこの時が初めてだった。

2008年からトルコの民間研究機関「トルコ海底考古学研究所」が、日本でエルトゥールル号の遺品発掘調査を本格的に開始したことで、ギュル大統領が「ぜひ現地に行ってみたい。エルトゥールル号救難へのお礼をしたい」と考えていたという。

追悼式典でギュル大統領は「住民の献身的な救助は日本の伝統文化の象徴。大変意義深い贈り物だった」と語った。
同年6月5日に天皇・皇后両陛下と会見したギュル大統領は、「この事件は日本とトルコの友好関係の出発点になりました」と語り、遭難事件から120年目にあたる2010(平成22)年にトルコを訪問することを招請した。2010年は「トルコにおける日本年」で、トルコにおいて交流事業が計画されている。