ヨーロッパ社交界の花形的存在 ミツコ | 日本の世界一

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NEWS 2007年10月25日

ヨーロッパ社交界の花形的存在 ミツコ

東京の骨董商で大地主の娘・青山ミツ改め光子は、オーストリア・ハンガリー帝国の外交官だった貴族ハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵に見初められ、1892(明25)年、日本人最初とされる正式な国際結婚

1896年、オーストリアに向かう際には、明治天皇の皇后(昭憲皇太后)より「遠い異国に住もうとなれば、いろいろと楽しいこともあろうが又随分と悲しいことつらいこともあろう。しかしどんな場合にも日本人の誇りを忘れないように」と令旨を賜った。

全財産をミツコに残した夫の死後、親族の起こした裁判に毅然として勝ち、社会的活動を始め、赤十字などにも力を注いだ。

20世紀初頭、それまでヨーロッパでは存在感の薄いアジアの小国であった日本が、日露戦争で大国ロシアを負かした国として驚異の念や憧れの的となっており、プッチーニのオペラ「蝶々夫人」の公演や、浮世絵ブーム等、ジャポネスクが流行の中心。ミツコは控えめながらも情熱的な美しさで、当時のヨーロッパ社交界の花形的存在となる。そのウエストの細さは、欧州婦人の羨望の的だった。

1919年、ゲランが出した香水MITSUKOは、彼女の名をとったものともいわれる。

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