「動脈硬化のペニシリン」スタチンの発見 遠藤章 | 日本の世界一

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2009年12月12日

「動脈硬化のペニシリン」スタチンの発見 遠藤章

コレステロール合成阻害薬、動脈硬化などの血管障害性疾患治療薬である「スタチン」は、世界中で約3,000万人の患者に使われている。その基となる「コンパクチン」(ML-236B)を世界で最初に発見したのは、当時三共製薬の遠藤章だ。コレステロールの代謝に関係する「LDL受容体」の研究で、ノーベル生理学賞を受賞したブラウンとゴールドスタインは、遠藤のコンパクチンが大いに役立ったと称え、「遠藤博士がスタチン研究の歴史を開いた」と語っている。

遠藤章(えんどう あきら)

1933年、秋田県山村の農家の次男坊として生まれた。かつて医師を目指し、村人の病気や怪我で軽症なものなら治してあげていたという祖父の、「一生懸命に勉強して野口英世のような立派な医者になって欲しい」という言葉を聞きながら成長した。その後、戦後の食糧難時代に、米作りに誇りを持っていた父の影響を受け、農業の技術者か研究者になろうと志す。

家業の農業を手伝いながら、片道徒歩2時間をかけて土日だけの定時制高校に通い大学進学を目指すが、家計は進学を許す状態ではなかった。恩師の計らいで全日制高校に編入し道が拓けることとなるが、それは、ハエには有害でも人は食べられるハエトリシメジというキノコに興味を抱き、独自にその成分を研究していた遠藤の才を恩師が惜しんだからだという。

1952年、東北大学農学部に入学。当初は肥料や農薬、抗生物質について学んでいたが、ペニシリンの発見者フレミングの伝記に強く影響を受け、薬物治療、病気の原因解明にも関心を持ち、卒業後に三共製薬に就職する。入社2年で新製品開発の成果が認められ、1966年から2年間、米国の医科大学に留学。そこで年間60~80万人が冠状脈疾患で死亡し、有効な治療薬もないことを知る。これが遠藤の研究心に火を点し、帰国後に高脂血症の治療薬、コレステロール低下剤の研究開発という道に進むきっかけとなる。

遠藤は、体内で合成されるコレステロールの量が、食物から摂取される量よりも多いことに注目。コレステロール合成に関与する酵素の一つ、「HMG-CoA還元酵素」の阻害剤を探し始め、6,000株ものカビとキノコを調べあげた。対象をカビとキノコとしたのは、高校時代のハエトリシメジ研究の経験とフレミングの影響があったからだと言う。2年で見つからなければ研究中止という覚悟で臨んだちょうど2年目、1973年8月に終にスタチンの基礎となるコンパクチン(ML-236B)を、アオカビから発見することに成功した。

ところが、開発はこの先、紆余曲折の道を辿ることとなる。最初の壁はラットの実験で、コレステロールが下がらず、新薬としての研究が打ち切られてしまった。「ラットに効かなくとも、ヒトには効くのでは?」遠藤はあきらめずにニワトリやイヌで独自に実験を続け、ついに有効という結果を得て、76年8月、新薬の種として承認され、遠藤をリーダーとするプロジェクトがスタートした。

だが半年後、コンパクチンを投与したラットに肝毒性の疑いが持ち上がり、再び開発中止となってしまう。そうした時、大阪大学・山本章医師から危険な状態の患者に治験をしたいと申し出があり、その患者が重篤な副作用なく好転し、開発は再開されることとなる。

しかし、80年8月、会社は突如開発を中止してしまう。理由の公表がなかったことから、「イヌの長期毒性試験で腸管リンパ腫が出た」という噂が広まり、世界中でコンパクチンへの関心熱が一気に冷めてしまった。

が、コンパクチンの研究は復活した。海外の医学誌にコンパクチン投与の有効性を示す論文(馬渕宏)と、遠藤の研究を高く評価し積極的に情報交換をしていた米国のブラウンとゴールドスタインが「安全性が解決すれば、動脈硬化のペニシリンになるだろう」という論文を掲載したからである。

この間、遠藤は1978年末で三共製薬を退職し、東京農工大学の助教授となっていた。翌年2月に紅麹菌からモナコリンKを発見したが、66年に三共からコンパクチンの提供を受けていた米国の製薬会社メルクが、これと前後して別のカビからモナコリンKと同じ物質・メビノリン(後のロバスタチン)を発見していた。遠藤は79年2月に、米国でモナコリンKの特許出願を行ったが、メルクが発見時期は78年11月であると主張したため、米国の「先発明主義」制度により特許は認められなかった。遠藤はモナコリンKの特許を三共に譲渡し、メルクは87年にFDA(米国食品医薬品局)からロバスタチンの認可を取得し、世界初のスタチン剤発売が開始された。

一方、日本では、三共からコンパクチンの構造を少し変えた薬品プラバスタチンが89年に発売されたが、仮に三共がコンパクチン開発に成功し、発売予定だった84年に製品化していれば、世界のスタチン市場の勢力図は大きく変わり、日本がリードしていただろうと言われる。

1985年、遠藤と共同研究をしていたブラウンとゴールドスタインが、コレステロールの代謝に関係する「LDL受容体」の研究で、ノーベル生理学賞を受賞した。これには遠藤の提供したコンパクチンが貢献していた。両博士は遠藤のコンパクチンが大いに役立ったと称え、「遠藤博士がスタチン研究の歴史を開いた」と語っている。

スタチンの治療薬としての可能性は更に拡がっている。最近の大規模臨床試験の結果により、スタチンには血管の炎症を抑える働きがあることがわかり、アルツハイマー病治療に有効と期待され、また、骨租しょう症、多発硬化症、免疫系疾患、癌などにも効果があることがわかってきたためだ。

遠藤は、1966年の日本農芸化学賞の受賞を始めとし、1987年ハインリッヒ・ウィーランド賞(独)、2000年ウォーレン・アルパート賞(米)、2006年マスリー賞(米)、日本国際賞と数々の賞を受賞している。
この成功の影に、如何なる時も変わらずに粘り強く研究に向かう遠藤の姿勢があった。大学を定年退官した今も、遠藤は(株)バイオファーム研究所代表取締役所長として、愛して止まない新薬と食品開発の研究に打ち込んでいる。