命懸けでドイツの腸チフス治療にあたった医師 肥沼信次 | 日本の世界一

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NEWS 2007年8月4日

命懸けでドイツの腸チフス治療にあたった医師 肥沼信次

東京帝大医学部で学び、1937年春に東ドイツ・ベルリンの伝染病研究所の研究員となった肥沼信次。1945年に帰国指示がくるが肥沼は帰国せず、腸チフスが蔓延し、唯一の医師も死亡したヴリーツェンに向かい、伝染病医療センターに勤務して、寝る間も惜しみ医療活動を続けた。肥沼自身もチフスに感染し、いかなる看護や薬を使う事も拒み、ヴリーツェンにて1946年3月8日に死亡。

東ドイツ時代は秘密警察の問題もあり公に賞賛する事は出来なかったが、80年代以降、肥沼氏に対する関心は高まり、1993年には、市役所の顕彰版にその名前が彫られた。1994年には名誉市民号を贈られ、ドイツのFAZ紙で13面の4分の1ほどを割いて紹介された。そして、寄付金で氏にちなんだ桜の木が植えられ、今や町中に桜が見られるという。

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