2007 9 月 | 日本の世界一

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NEWS 2007年09月

世界初、トレハロースの量産化 林原 (09/30)

1994年、林原。虫歯になりにくく、さっぱりした甘み(砂糖の45%)で食品のうま味を引き立て、水に代わって細胞を守るトレハロースを、微生物・酵素技術を使い、でんぷんから量産。加工食品だけでなく、化粧品、入浴剤、せっけん、植物活性剤など幅広い分野に実用化。最近では、骨の健康にも関係があるという実験報告もあり、医療面でも注目される。

日本人初のボクシング世界チャンピオン 白井義男 (09/29)

1952年5月19日、日本初のボクシング世界タイトルマッチが開催された。世界フライ級チャンピオン、米国のダド・マリノと挑戦者の白井義男の一戦は15ラウンドの戦いの末、白井が3-0の判定で勝利。日本人初のボクシング世界チャンピオンの座を獲得した。

セネガル共和国大統領の専属ピアニスト 広谷泉 (09/28)

2000年、無類の音楽好きで知られる第3代セネガル大統領・アブドゥライ・ワッド氏の専属ピアニストに合格。式典や海外の要人歓迎で必ず演奏し、大統領と共に世界中を飛び回る。

世界初 45ナノメートル システムLSIの量産を開始 松下電器 (09/27)

2007年6月、松下電器産業は回路線幅を45ナノメートル(nm、1ナノは10億分の1)に細めたシステムLSI(高密度集積回路)の量産を富山県魚津市の魚津工場で開始した。45nmのシステムLSIの量産化は、米インテル社など世界の半導体メーカーが目指していたが、松下電器産業が世界で初めて実現した。45nm製品は従来の65nm製品よりも消費電力やチップ面積を3分の2から半分まで削減でき、また1枚のウエハーから取れる半導体個数が増えるため、大幅なコストダウンが可能となる。

世界一小さなカプセルの開発 藤田誠 (09/25)

2006年9月、東京大学の藤田誠教授らのグループが、直径5ナノメートル(nm、100万分の5mm)の極小カプセルにフッ素性溶液を閉じ込めることに成功した。液体を閉じこめたカプセルとしては世界最小である。カプセル内部に医薬品やタンパク質を閉じ込めることも可能で、今後、医療分野への幅広い応用が期待出来る。

世界最短 8cmの距離で80型画面を投映出来るプロジェクターを開発 三洋電機 (09/24)

2007年6月、三洋電機は設置距離8cmで80インチ画面を投映出来るフロントプロジェクター「LP-XL50」を発表した。同社の従来機種である「LP-XL40」の投射距離は103cmだったが、「LP-XL50」の投射距離は約半分の46cm。レンズを本体の後部に設置したことにより、筐体(機械本体の外側の箱部分)から壁までの距離はわずか8cmで、フロントプロジェクターとして世界最短である。

世界の海戦史上、稀に見る大勝利を上げた「日本海海戦」 (09/23)

1905年5月27,28日に連合艦隊と露バルチック艦隊との間で行われた日本海海戦は、世界の海軍戦史上に残る戦法「敵前大回頭(トーゴー・ターン)」により、連合艦隊の圧勝に終わった。ロシア艦隊は38隻中21隻が沈没。7隻が拿捕され、ウラジオストク港に到達出来たのは僅か3隻のみだった。一方、連合艦隊は水雷艇3隻の沈没のみという、世界の海戦史上稀に見る大勝利となった。

医療用内視鏡 オリンパス (09/22)

1950年、オリンパス光学工業(現在のオリンパス)の主任技師だった杉浦睦夫と部下の深海正治は、世界で初めて胃カメラを開発。その技術は内視鏡、ファイバースコープとして発展した。2007年現在、オリンパスの医療用内視鏡は世界シェア70%。

インドネシアにおける民族覚醒をもたらした日本 (09/21)

民族主義者イワ・クスマ・スマントリは言う。「日露戦争はアジアの人々を眠りから呼び覚ました。アジアの小国でさえヨーロッパの大国に打ち勝つことができることを、その戦争は示していた。

世界口笛大会優勝 (09/20)

2007年4月20・21日、米国のノースカロライナ州で「口笛世界大会」を開催。世界各国から約百人が出場し、成人女性の部・10代の部・子供の部でそれぞれ日本代表が優勝。日本人がグランドチャンピオンに輝いたのは初めてである。

イランの詩人 シーラーズイーの讃える日本の日露戦争勝利 (09/20)

「立憲制によってこそ日本は偉大になった。その結果かくも強き敵に打ち勝つことができたのだ」

世界一厳しい自動車排ガス規制を世界で最初にクリアしたCVCCエンジン (09/19)

1970年に米国で施行された排ガス規制法、通称「マスキ―法」はあまりの厳しさから達成不可能と言われたが、本田技研工業(現ホンダ)は副燃焼室を導入した新方式エンジン「CVCCエンジン」を開発。世界で最初にマスキー法をクリアしたエンジンとなった。

16億人以上の命を支える小麦農林10号の発明 稲塚権次郎 (09/18)

1935年、岩手県農事試験場の稲塚権次郎は「小麦農林10号」という新種を開発。これをノーマン・ボーローグ博士が改良した品種がメキシコ、インドやパキスタンなどで栽培され、多くの人々の命を救った。これは「緑の革命」と呼ばれ、ボーローク博士はノーベル平和賞を受賞した。

分割陽極型マグネトロン 電子レンジの元となる発明 岡部金治郎 (09/17)

1927年、東北帝国大学の岡部金治郎は、強力で安定した電波を発振させる分割陽極型マグネトロンを発明。当時、世界中で強力な電波発振装置の開発が行われており、岡部の発明は世界をリードする画期的な出来事だった。その後、この発明はレーダーの開発に用いられ、現在では電子レンジのマイクロ波発生装置として使用されている。

長距離飛行の世界記録を樹立 航研機 (09/16)

東京帝国大学航空研究所が設計し、東京瓦斯電気工業が機体を製作した航研機は、1938年5月13日朝、千葉県木更津飛行場を離陸。木更津-銚子(千葉県)-太田(群馬県)-平塚(神奈川県)を結ぶ一周401.759kmのコースを29周して、15日夜、木更津飛行場に無事着陸した。飛行時間は62時間22分49秒。無着陸周回航続距離世界記録11,651.011kmと、10,000kmコース速度世界記録186,197km/時の2つの国際記録を樹立した。

ラジャー・ダト・ノンチック元マレーシア上院議員の日本賞讃 (09/15)

「日本軍は長い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信を与えてくれました。長い間眠っていた『自分たちの祖国を自分たちの国にしよう』という心をめざめさせてくれたのです。私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声を上げました。敗れて逃げてゆくイギリス軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。」

スカルノ元インドネシア大統領の讃える日本 (09/14)

「日本があの戦争をしてくれなかったら我々は解放されなかっただろう」「我々が独立を勝ち得たのは、日本があれだけ戦ったのに、同じ有色人種の我々に同じことが出来ない訳はないと発憤したからである」

マレーシアで爵位を授かったダトスリ小西 (09/13)

小西史彦。1973年創業、蚊取り線香事業を皮切りに半導体関連企業や回転寿司店など、24社2,500人年商300億円の有力企業となった。

中国の砂漠緑化に尽力する 遠山正瑛 (09/12)

鳥取大学農学部名誉教授。退官した1972年から研究に取り組む。

ウガンダ「工業化の父」柏田雄一 (09/11)

1964年、合弁会社責任者として首都カンバラで初のワイシャツ工場を創設。ウガンダ人を指導、内戦による損失を乗り越え、業績を伸ばした。

 

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