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日本文化の代表格のアニメは、世界でテレビ放映されています。漫画、映画、文学作品、ファッション、食べ物なども広がっています。

日本文化の海外での成功の歴史(年表)

出来事
1951年 黒沢明監督の「羅生門」が伊ベネチア映画祭でグランプリ受賞。日本映画の海外進出のきっかけを作る
1952年 手塚治虫の漫画「鉄腕アトム」の連載開始。1963年に連続テレビアニメ化、1980年に再アニメ化され、米国などでも放映
1954年 映画「ゴジラ」公開。2004年にハリウッド殿堂入り
1960年 歌舞伎が初のアメリカ公演
1963年 坂本九の「スキヤキソング(邦題は“上を向いて歩こう”)」が全米ビルボードのヒットチャートで1位
1966年 「ウルトラマン」の放映開始
1969年 漫画「ドラえもん」の連載開始
1971年 世界初のカップめん「カップヌードル」発売。2003年夏に累計売り上げ200億食を達成
1972年 米ニューヨークのマンハッタンに「すしバー」が開店
1974年 キャラクター「ハローキティ」登場。1980年代以降、関連商品含め世界市場が急成長
1979年 テレビアニメシリーズ「機動戦士ガンダム」放映開始。2001年に米国で放映開始
1983年 連続テレビドラマ「おしん」放映。1984年以降シンガポールをはじめアジア、中東諸国などで「おしんブーム」
1986年 ゲームソフト「ドラゴンクエスト」の発売開始
1989年 中国で村上春樹の小説「ノルウェイの森」翻訳。その後、売り上げは100万部を突破
1992年 「美少女戦士セーラームーン」放映開始
1993年 テレビ番組「料理の鉄人」放映開始。その後、米国などへ進出し、ブームに
1995年 ファッション雑誌「Ray」の中国版「瑞麗・服飾美容」が中国へ進出 映画「Love Letter(ラブレター)」が公開される。韓国、台湾でもヒットし、ロケ地・北海道小樽市を中心に、日本への観光客が約300万人増える
1996年 ゲームソフト「ポケットモンスター」発売。その後、テレビアニメ「ポケモン」は68か国、25言語で放映され、経済波及効果は2兆3000億円以上との試算も
1997年 今村昌平監督の「うなぎ」がカンヌ映画祭で、北野武監督の「HANA-BI」がベネチア映画祭で、それぞれ最優秀作品賞受賞
1999年 ポケモンのアニメ映画「ミュウツーの逆襲」が全米で公開。最終興行収入が8500万ドルを超す
2002年 ホラー映画「リング」のリメーク版が全米公開。その後の「Shall We ダンス?」「呪怨」など日本映画のリメークブームに。女性誌「ヴァンサンカン」が韓国へ、コミック誌「少年ジャンプ」が米国へ進出
2003年 アニメ映画「千と千尋の神隠し」が米アカデミー賞受賞。米クリスティーズのオークションで村上隆のアニメ風美少女の立体作品が約6600万円で落札
2004年 バラエティー番組「トリビアの泉」が米国進出を決定

手塚治虫さんの鉄腕アトム

「鉄腕アトム」は、戦後の児童マンガの巨匠、手塚治虫さんの代表作。

1951年(昭和26年)から1968年(昭和43年)までの17年間、少年雑誌「少年」に連載された。

テレビアニメ「鉄腕アトム」の放映が始まったのは、東京オリンピック前年の1963年(昭和38年)。谷川俊太郎作詞の主題歌「空をこえて ラララ 星のかなた……」とともに大ヒットし、放映は4年にわたった。子どもたちの全国的なファン組織ができ、ファンを対象とした月刊誌が何万部も売れる現象さえ生んだ。

参照:偉大な漫画家ランキング

海外に輸出。世界20数カ国で放映

アニメの「アトム」は海外に輸出され、アメリカをはじめ、世界20数カ国で放映され、子どもたちの人気番組になった。

「アトム」が世界的にも水準の高い作品だったことを裏書きするエピソードが幾つかある。アメリカのSF映画の傑作「ミクロの決死圏」は、「アトム」の1編「細菌部隊」をヒントに作られたものだ。「アトム」に感動したスタンリー・キューブリック監督は、SFX映画の名作「2001年宇宙の旅」を撮る際、「アトム」の生みの親、手塚さんに美術監督の白羽の矢を立てた。

唐津一さん

システム工学の権威で、第5世代コンピューターの研究開発に取り組んだ東海大教授、唐津一さんは生前、以下のように語っていた。

「コンピューター学的に見ても、『アトム』は面白い。従来のコンピューターは人間が機械に合わせないと機械が動いてくれず、原発やロケットの事故など妙なことがいろいろ起きる一因になっていた。いまめざしている第5世代のものは、機械が人間に寄ってこいというタイプで、『アトム』こそ正にそれ。手塚さんが先見したようなコンピューターやロボットが実現すれば、21世紀は希望の持てる時代になります」