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2008年4月8日
1951年、イランが石油の国有化に踏み切り、英国はこれに反対して西側諸国にイラン石油の禁輸を呼びかけた。各国が英国の意向に従う中、出光興産創業者の出光 佐三は1953年、禁輸措置中のイラン原油を買い付けることを決定し、自社のタンカー日章丸をイランのアバダンに送って、軽油とガソリンを購入した。
オイルショック以前の中東の石油産出国では、石油メジャー、通称セブン・シスターズと呼ばれる7大石油会社(エクソン・モービル・ガルフ・ソーカル・テキサコ・ロイヤルダッチシェル・ブリティッシュ・ペトロリアム)による石油利権の独占が続いていた。
イランでも英国資本の石油会社であるアングロ・イラニアン社(現在のブリティッシュ・ペトロリアム(BP))による独占が続いていたが、これに反発していたモハメッド・モサデクが1951年4月、首相に就任すると、すぐにこれを国有化して、イラン国営石油公社とした。これに対し、アングロ・イラニアン社を含むメジャーはイラン原油のボイコットを実施。英国はこの行為を国連安保理事会に提訴するとともに、西側諸国にイラン原油の禁輸を呼び掛けた。この禁輸措置はイラン経済に大きな打撃を与え、イラン国民は不況に苦しむこととなった。
そのような状況下の1953年初頭、石油元売会社 出光興産の創業者である出光 佐三は、禁輸措置中のイラン原油を買い付けることを決定した。当時、英国海軍はペルシャ湾を航行するタンカーの無線を傍受して監視し、イランから石油を積み出そうとするタンカーに対しては、拿捕も辞さないという強硬な姿勢を取っていた。更に、出光は当時タンカーを一隻しか所有しておらず、拿捕されれば会社自体の存亡が危うくなる状態だった。しかし出光 佐三はそれを押して、イラン石油買い付けを強行した。
3月23日、出光興産が所有する唯一のタンカー「日章丸二世」が神戸港を出港した。行先は表向きはサウジアラビアということになっていたが、実はイランのアバダン港だった。このことを知らされていたのは船長と機関長の二人だけだった。
4月11日、日章丸がアバダン港に入港。港に集まったイランの群衆は、日章丸を歓呼して迎えたという。そこでガソリン、軽油約2万2千キロリットルを満載した日章丸は他船との交信を一切止め、ひそかにペルシャ湾を出港。インド洋を横断する約1ヶ月間の航海の後、5月9日、日章丸は川崎港に帰港。大勢の人の歓迎を受けた。
この行為に対して、英国は日本政府に厳しく抗議。アングロイラニアン社は積荷の所有権を主張し、東京地方裁判所に提訴したが、最終的にアングロイラニアン社が提訴を取り下げ、出光側の勝訴が決定した。
出光 佐三が戦勝国イギリスと堂々と渡り合い、勝利したこの出来事は、敗戦で打ちひしがれた日本人を大いに勇気付けると共に、その後のイランとの友好関係を構築するきっかけとなった。
出光 佐三はアングロイラニアン社との裁判の際、東京地裁の裁判長にこう言ったという。「この問題は国際紛争を起こしておりますが、私としては日本国民の一人として俯仰天地に愧じない行動をもって終始することを、裁判長にお誓い致します。」