日本の世界一

多自由度管状マニピュレータの開発 オリンパス

1999年、オリンパス。直径1mmで、体内の細管部に挿入する管状の診断・治療器具であるカテーテルの先端部を全方向に曲げられる多自由度管状マニピュレータを開発した。

マニピュレータとは人の腕や手指の機能を持つマシンのことで、さらにそれを微細化したのものがマイクロマニピュレータと呼ばれる。

マイクロマニピュレータは顕微鏡下等で微少量の注射や微小電極を用いての細胞操作を行うマイクロ・マシンのことである。

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「ヤン・ミルズ理論」をいち早く完成させていた日本人 内山龍雄

理論物理学者 内山龍雄(うちやま りょうゆう)は、素粒子物理学のみならず、宇宙の誕生・進化まで解明が期待されている統一場理論の基礎となるゲージ理論の第一人者である。一般ゲージ場論は、一般相対性理論と並ぶ物理学の最重要基礎理論。

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タンジブル・ユーザーインターフェイスの世界的研究者 石井裕

直接手でデジタル情報に触って操作(タンジブル)できる画期的インターフェイス、「タンジブル・インターフェイス」を開発したのがマサチューセッツ工科大学(MIT)の日本人教授石井裕だ。
従来のコンピューターは、キーボードやマウスを用いて、一人のユーザが扱うことを前提としていたが、この開発によって、これからのコンピューターは、誰もが情報に直接触れながら操作できるという、より実態感のあるものになる。

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月のクレーターに命名された天文学者 麻田剛立

江戸時代の天文学者、麻田 剛立は、西洋に先駆けること150年、世界で初めて、独自の計算により、1763年9月1日の日食を予言。日本で初めて近代的な天文学研究を行ない、伊能 忠敬や緒方 洪庵へとつながる、日本の近代学問の大きな流れを生み出した。また、現代物理学の大発見・ケプラーの第3法則を独自に発見していた。その偉業を讃え、国際天文学連合により、月のクレーターの一つが「ASADA」と命名された。

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ブラジルで「実に好ましき人種」と讃えられた日本人

1908年6月、ブラジルに初めて移住した日本人たちは、清潔で規律正しいことや従順な態度が高く評価され、「実に好ましき人種」「将来サンパウロ州の産業は日本人に負うところ大であろう」とブラジルの新聞『コレイオ・パウリスターノ』で絶賛された。2008年は、日本人がブラジルへ移住して100周年目にあたる。日本とブラジルは、これを記念し「日本ブラジル交流年(日伯交流年)」として、様々な交流イベントを開催している。

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親日国トルコを作ったエルトゥールル号遭難者介護

トルコは親日国として知られている。そのきっかけとなったのは、「エルトゥールル号遭難事件」だった。1890(明治23)年に日本訪問を終えたトルコ使節団が乗る軍艦エルトゥールル号が和歌山県大島の樫野崎沖で沈没した時に、村民は69名を救助し献身的に介護した。帰国できたトルコ人らは、日本人の親切さを語り続け、この出来事はトルコの歴史教科書に載るほどになった。今でもトルコのほとんどの人がこの事件を知っているという。 この記事の続きを読む

鉄よりも強く綿よりも軽い夢の材料を発見した飯島澄男

物理学者の飯島澄男は、鉄よりも強く綿よりも軽い”夢の材料”といわれる「カーボンナノチューブ」を発見した。ノーベル賞の有力候補と期待されている。
夢の材料といわれる「カーボンナノチューブ」は、鉄の15倍も硬く、綿よりも軽い物質。
今までの物質にない優れた特性を持つため、「夢の材料」として世界的に注目されている。

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チャップリンから絶大な信頼を受けた高野虎市

チャールズチャップリンは大の親日家だった。1916年に運転手として、アメリカに移住していた高野 虎市を採用した。仕事熱心な高野は、運転のみならず経理、護衛、秘書など様々な仕事をこなし、やがて「撮影所の支配人」とまで呼ばれるようになった。高野の献身的で真面目な仕事ぶりに感銘を受けた
チャールズは次々と日本人を雇い、1926年頃には使用人は全員日本人になっていた。

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世界に良い影響を与えている国 日本が3年連続第1位 英BBC調査

2008年4月1日、英BBC放送が行った国際世論調査の結果を発表し、「世界に良い影響を与えている国」として、日本とドイツがそれぞれ56%で第1位となった。日本は2006,2007年度の調査でも第1位で、3年連続の1位となった。

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昭和天皇を心から尊敬し讃えたマッカーサー

終戦直後の1945年9月27日、昭和天皇はGHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーと会談。「全ての戦争責任を負う」との陛下の発言にマッカーサーは大いに感動し、「私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じ取ったのである。」と後年、語った。

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