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2007年9月5日
1999年に3度目の挑戦でエベレスト登頂に成功した。25歳で7大陸最高峰(セブンサミット)世界最年少登頂記録を樹立する。
1973年8月21日、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン市出身。幼年時代は父が外交官であったため世界各国で過ごした。
高校時代、先輩との喧嘩から1ヶ月の停学処分となるが、父の助言により一人旅をした時に書店で見つけた故・植村直己氏の著書「青春を山に賭けて」に感銘を受け、登山を始める。16歳の時に西ヨーロッパ大陸最高峰であるモンブランの登頂に成功し、以降、世界7大陸最高峰の登頂を目指す。
高校卒業後は亜細亜大学国際関係学部に入学して登山を続け、モンブラン初登頂から10年の歳月をかけ、1999年3度目の挑戦でエベレストの登頂に成功。7大陸最高峰(セブンサミット)の世界最年少登頂記録を25歳で樹立した。
その後はエベレストのゴミ問題を解決するため、4年連続でエベレスト清掃登山を実施。2001年には、日本隊に参加し遭難したシェルバ(登山隊の案内人・荷役人)の遺族を補償するためシェルバ基金を設立した。
日本国内でも富士山を取り巻く環境の問題に取り組んでおり、2004年からは「青木が原ごみゼロ作戦」をスローガンに掲げ、樹海の清掃に力を入れている。環境行政の不備の象徴である富士山を変えることにより、日本全国の国立公園を始めとした自然保護の新たな枠組みが伝播するよう日本全国で講演会を行い、行政サイドに訴え「富士山から日本を変える」をスローガンに精力的に活動している。
また世界各地の国立公園や観光産業を見てきた経験から、政治・行政サイドからも意見を求められ、環境省、東京都の委員も務める。東京都レンジャーや富士山レンジャーの提案者でもあり、名誉隊長も務める。更に、次世代の環境問題を担っていく人材の必要性を感じ、小学生から大学生まで幅広い対象で「野口健 環境学校」を開校して、人材の育成に努めている。
主な登山歴
1990年夏(16歳) モンブラン(ヨーロッパ大陸)
1990年冬(17歳) キリマンジャロ(アフリカ大陸)
1992年夏(19歳) コジアスコ(オーストラリア大陸)
1992年冬(19歳) アコンカグア(南米大陸)
1993年夏(19歳) マッキンリー(北米大陸)
1994年冬(21歳) ヴィンソン・マシフ(南極大陸)
1996年冬(22歳) エルブルス(ヨーロッパ大陸、ロシア)
1999年春(25歳) エベレスト(アジア大陸)・・・当時、7大陸最高峰登頂の世界最年少記録樹立