史上最強の大関 雷電為右衛門 | 日本の世界一

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2009年12月17日

史上最強の大関 雷電為右衛門

雷電為右衛門は、江戸時代の力士。最高位は大関だが、生涯成績254勝10敗、勝率9割6分2厘、連続優勝7回という驚異的な戦績を残した。それだけの実力がありながら、何故横綱になれなかったのかは、現在も謎のままである。あまりに強すぎたため「張り手」「鉄砲」「閂(かんぬき)」を禁じ手とされたという逸話は有名である。

雷電為右衛門(らいでん ためえもん 本名:関太郎吉)

1767年-1825年4月9日
1767年、信州国小県郡大石村(現在の長野県東御市)の豪農の家に生まれる。本名は関太郎吉。1784年、18歳の時に地元に巡業に来ていた江戸相撲の浦風林右衛門の門弟となって江戸へ上り、江戸では西大関の谷風梶之助の内弟子となる。出雲国松江藩松平家のお抱え力士となり、藩ゆかりの四股名「雷電」をもらって「雷電為右衛門」を名乗った。

1790年、関脇付け出しで初土俵を踏み、8勝2預でいきなり優勝を果たす。1795年、29歳で大関に昇進し、1811年に45歳で引退するまでの16年間27場所、大関を務めた。幕内通算成績は35場所で254勝10敗2分14預5無勝負。優勝回数27回(他の説もあり)。この時代は年2場所制であり、年6場所制の現在でも大鵬の優勝32回が最高であるので、驚異的な数字と言える。通算勝率は96.2%。大相撲で最も勝率が高い大鵬の幕内での勝率が83.8%。いかに雷電が負けなかったかが分かる数字である。

体格は身長が6尺5寸(197cm)、体重が45貫(168.7kg)という大男だった。曙の身長203cmとほぼ同じであり、大鵬や貴乃花の現役時代の体重150kg前後と比較しても大きく、現代より日本人の体格が小さかった江戸時代ということを考えると、驚異的な体の大きさだったと言える。

それだけの実力、戦績を持ちながら、何故横綱に推挙されなかったかは大きな謎である。しかし、1791年、第11代将軍・徳川家斉が相撲を上覧した際に、将軍より「天下無双」の称号を授けられており、また富岡八幡宮の横綱力士碑には「無類力士」として顕彰されていて、横綱と同列の扱いとなっている。正に横綱を超える「史上最強の大関」と言って良いだろう。