合成繊維ビニロンの発明 桜田一郎 矢沢将英 | 日本の世界一

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2009年12月31日

合成繊維ビニロンの発明 桜田一郎 矢沢将英

1939年、京都帝大の桜田 一郎と鐘紡の矢沢 将英は、合成繊維ビニロンを発明した。戦後、木綿の代用品として重宝され、現在は産業用資材に欠かせない存在。

1936年、世界のブロック経済化の中、木綿、羊毛に代わる合成繊維を開発するため、財団法人日本化学繊維研究所が設立され、産学協同で研究が進められた。1939年、京都帝大の桜田 一郎と鐘紡の矢沢将英は別グループでポリビニルアルコール(PVA)を原料とした合成繊維の創製に成功。はじめは「合成一号」や「カネビアン」と呼ばれていた。前年には、ニューヨークでデュポン社が絹の駆逐を対象にした商品、合成繊維ナイロンを発表。日本の主要な輸出品である絹糸は大きな打撃を受けた。

元々、PVAは1924年、ドイツで初めて合成されたが、高い親水性のため、衣料用としての繊維化は断念されていた。
1941年、財団法人日本合成繊維研究協会が設立され、京都帝大では、高槻の化学研究所内に研究室と、合成一号の中間試験工場が建設された。1948年、 PVA系合成繊維の一般名を「ビニロン」に統一。1949年、商工省が戦後の合成繊維工業を急速に育成のため、まずナイロン(東洋レ),ビニロン(倉敷レ)をとり上げることを決定。1950年、倉敷レイヨンが世界最初のビニロン繊維一貫生産を開始した。

ビニロンは、木綿に良く似た合成繊維といわれており、戦後の繊維不足の時期に重宝され、学生服や作業服などに広く用いられた。現在、衣料用としては、他の合成繊維に比べ耐熱水性や染色性が劣ることから、作業服が主となっている。とくに、耐熱性を持つビニロンに難燃性加工を施したものは、燃焼時の溶液落下物がないため、安全作業服や消防用出動服などに使用されている。
非衣料分野では、高強度、低伸度、高弾性で、さらに、吸湿性はないが、水分を含み、油類、カビなどに影響されず、耐薬品性に優れるという特徴から、ロープ、魚網、工業用ベルト、アルカリ乾電池のセパレーター、アスベスト(石綿)に代わるセメントやコンクリートの補強材など産業資材として幅広く用いられている。農業資材としては、防虫防鳥用の果樹ネット、野菜などを栽培するときの被覆材や、特殊なものとしては育苗移植用のペーパーポットがある。これは、親水性ビニロンとパルプからできており、育苗中は形態を保持し、移植後は土中で分解される。

ビニロンは、衣料分野で他の合成繊維に取って代わられたこともあり、1970年を境に生産量が低迷していた。しかし、1991年にECが青石綿と茶石綿を全面禁止、さらに2005年にEUで白石綿を含む全石綿が禁止され、石綿の代替品として建材などに入れるビニロン需要がヨーロッパで急増し、 1990年より生産量が増加に転じた。日本でも石綿代替品としてビニロン需要が急増している。現在、日本のビニロン生産シェアは世界の80%を超えている。ビニロン発明から半世紀が過ぎて日本の技術が再評価されているのである。

また、PVA市場はビニロン繊維の原料として工業化に成功したことにより開発されたものであるが、現在ではそのすぐれた性質を活かして、ビニロン繊維用以外に、フィルム、接着剤、繊維加工剤、紙加工剤など広い範囲で使用されている。特にフラットパネルディスプレイ用光学フィルム(偏光フィルム)が伸びている。

「高分子」の名付け親 桜田 一郎

1940年の桜田 一郎の「高分子の化学」(工業化学雑誌別冊付録)により「高分子」は名詞として定着。わが国の高分子化学(澱粉、セルロース、タンパク質、プラスチックなど、大きな分子でできている物質を扱う化学の分野)の発展に先駆的な役割を果たした。
桜田 一郎の高分子化学における研究業績は、高分子の合成反応、高分子触媒、高分子溶液の物性、放射線高分子化学、高分子固体の構造・物性などきわめて基礎的なものから、合成繊維ビニロンの開発のような応用的なものまで多岐にわたり、多くの門下生を育てた。高分子学会の創立者の一人であり、国際的な研究組織の重要メンバーとしても活躍、高分子研究者の国際交流に貢献した。総じて、研究者・教育者・組織者として、高分子化学という学問分野を日本にしっかり根づかせたことが最大の貢献といえる。

参考

桜田一郎