「下町の外国人もてなしカリスマ」澤の屋旅館 澤功 | 日本の世界一

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2009年12月24日

「下町の外国人もてなしカリスマ」澤の屋旅館 澤功

澤の屋旅館」主人、澤功。彼が家族で経営するその日本旅館は、東京の下町、谷中にある。これまでに100カ国から、のべ13万人を超える外国人客を受け入れた。宿泊客の9割は外国人であり、外国人旅行者の間ではよく知られた旅館である。利用しやすい低廉な料金も魅力だが、澤の屋が旅行者を惹きつけるのはそれだけではない。

澤の屋は、1949年に澤の義母が開業。戦後の復興期には、商用の客や修学旅行の団体客などで賑わっていた。しかし、時代の流れとともに修学旅行客は減り、1973年、1978年と相次いだオイルショックの影響で地方からの出張者も減っていった。さらに個室でバス・トイレ付のビジネスホテルの台頭により利用客はますます減少。経営は苦境に立たされ、ついに1982年7月には、3日間宿泊者ゼロとなってしまった。そこで、何とか経営を再建すべく、同業者からの勧めで外国人客を受け入れることを決意した。

しかし、施設も設備も和式のまま。澤氏をはじめ、従業員は外国語もわからない。当初は、英語での電話応対にトラブル続きだったことに加え、文化や生活習慣の違いからも、さまざまなトラブルが起こった。例えば、共同風呂の湯船の栓を抜かれたり、和式トイレの金隠しの上に用を足されたり、畳の上に濡れた洗濯物が敷き詰められていたり・・・。それ以外にも、騒音、食事の方法、接客時の笑顔に関すること等々、枚挙にいとまがない。これらの問題に対しては、電話応対のチャートを作ったり、大風呂を個別に、トイレは洋式に改造したり、施設の使用方法を張り紙するなど、一つひとつを根気よく解決していった。

こうしたトラブルについて澤は、文化・生活習慣が違うのだから当たり前であり、良い悪いの問題ではなく、“違い”でしかない、と捉える。そして、こうした文化・生活習慣の違いは、お互いを理解することで乗り越えられるのであり、その違いを前提にして受け入れ方法を考えることが接客の原点だと言う。

また、小規模な日本旅館の設備で外国人客を満足させることができるだろうかという不安もあった。しかし、幸いにして、澤の屋がある谷中・千駄木界隈は、古い町並みがそのまま残っており、手作りの豆腐や菓子の店、筆、千代紙、竹籠等の伝統工芸品の店、居酒屋、そば屋、銭湯など、下町情緒を味わえる店がたくさん存在する。また、食堂、郵便局、病院、クリーニング屋、教会などもあり、生活する上で必要な施設は大体揃っている。そこで澤は、澤の屋には大型ホテルのような立派な設備はないが、地域ぐるみで宿泊客を受け入れ、もてなせば、決して大型ホテルに劣ることはないと考えた。

そのための取り組みとして、英語で周辺のエリアマップを作って外国人客に渡す他、周辺の飲食店などに協力を呼びかけ、店の入り口に「welcome」の表示と、英文のメニューを置いてもらうようにした。また、外国人客を花見、祭り、餅つき、豆まき等の町の行事にも誘った。
すると、最初とまどっていた町の人たちも、次第に受け入れに積極的になり、英文の応対マニュアルを作る店も出てきた。

こうした澤の努力が実り、澤の屋に宿泊する外国人が段々と増えていった。澤の屋が橋渡し役となって、外国人客と町の人たちとの間に草の根レベルでの国際交流が生まれるようにもなった。外国人客には、日本情緒を味わえること、町の人たちの日常に触れ、自然体で関われることなどが大変喜ばれ、それが澤の屋の魅力のひとつになった。

最近は澤の屋の宿泊者に変化が起こっている。再び日本人客が増えてきたという。その日本人客に、どのようにして澤の屋を知ったのかを質問すると、外国人から聞いたという。澤の屋に宿泊した外国人が逆に日本人に澤の屋を勧めているのである。

現在、客室数はわずか12室。年間客室稼働率は92.6%と繁盛しているが、澤は旅館の規模を大きくしようとは考えていない。常連客の中には、家族でもてなしてくれる澤の屋のアットホームな雰囲気が気に入っていたり、いつも同じ顔が迎えてくれることに安心感を感じている客が多いからである。いつ訪れても変わらないこと、それもまた澤の屋の魅力であるのだ。

澤は、澤の屋を通じて国際交流に貢献する他、全国各地で外国人旅行者の接遇の仕方について説明し、宿泊施設側が外国人旅行者を受け入れる際の不安を払拭し、受け入れの普及・啓蒙活動を行なっている。そうしたこれまでの功績が認められ、2003年には国土交通省により「下町の外国人もてなしカリスマ」として「観光カリスマ百選」に認定され、2007年には政府より「地域活性化伝道師」に任命された。